大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和26年(う)1682号 判決

控訴人 検察官 藤原正雄

被告人 浅野清 古西武彦

被告人 大岡実 浅野清 古西武彦 井上渉

検察官 舟田誠一郎関与

主文

検事の控訴はこれを棄却する。

原判決中被告人浅野及び古西の有罪部分を破棄する。

右両名は電気座布団使用の公訴事実については無罪。

被告人古西を罰金五百円に処する。

右罰金を納めることができないときは、金百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

同被告人に対し二年間その罰金刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中証人森田霜四郎及び藤井光高に支給した分は同被告人の負担とする。

理由

検事藤原正雄の控訴趣意第一点(被告人四名に対する失火事件)について。

所論は冒頭で、原判決が、一方において本件電気座布団は諸種の欠陥を有し工学上安全率が低く出火の可能性が大であることを認めながら、他方において八項目にわたる事実を認定し以て出火原因が右電気座布団以外にあること又は放火を疑わしめるものありとして失火の公訴事実につき証明不十分を理由に無罪の言渡をしたのは論理の矛盾であるというのである。

なるほど、原判決は、公訴事実のうち、昭和二十四年一月二十六日午前八時頃法隆寺の金堂が火災のためその内陣及び十二面の壁画に起訴状記載の如き焼燬損傷を生ずるに至つたこと、及び右金堂内で画家が使用していた電気座布団は安全率が低く出火の可能性を有することをその前段で認定しながら、その後段で所論の諸点その他の事実を挙げてこれらをも対照して考えると金堂出火の原因を一つに電気座布団だと断定するには証明不十分であると説明している。しかし、その可能性が所論のように大であるとは認めていないのである。そもそも、可能性のないところに原因はないけれども、さればとて、その可能性は必ずしも常に確定的な原因を意味するものではない。原判決が、右電気座布団の安全率が低く出火の可能性あることを一応認めながら、他方右のような諸点に鑑みると出火の原因を一つに所論電気座布団であると断定するにつき結局証明不十分であると説明したのは、決して論理の矛盾であるということはできない。

つぎに所論は、一において電気座布団が出火原因であることは証拠上明らかであると主張する。そして訴因によると、昭和二十四年一月二十五日午後四時頃、金堂内陣東北隅第十一号壁に面しこれより約三尺を隔つたいわゆる伏蔵の上部に備え付けてある模写台下段で使用していた電気座布団が、その恒温器の調整不良による熱線の過熱並びに熱線の切損部や熱線と恒温器との接続部のゆるみから生じた電気火花によつて、電気座布団の中の乾燥した古綿に引火し、長時間の鬱熱状態を保ちつつ附近に在つたござ、模写台、カーテン、コード、柱、板等に順次延焼したものである、というのであり、原判決も右電気座布団がその(イ)恒温器(ロ)熱線(ハ)黒色テープ(ニ)発熱部の古綿等において資材乃至機能上不完全で出火の可能性があることを認めているのであるが、所論は、壁画模写中の画家が退堂寸前に電気座布団から立ち上る際又はこれを膝から模写台上に置く際電気座布団の古綿に引火したものである、と主張し、その証拠として援用するところは要するに浜田稔、竹山説三、中内俊作、堀内三郎、浅田常三郎、松田長三郎等の提供したものである。しかしながら、これらの証拠によつては所論のような過程を経て本件火災に至る可能性のあることをうかがい得るに止まり、必ずこの過程を経て本件火災に至つたものとは断じ難いのであつて、殊に右松田長三郎の鑑定書によれば火災に至る可能性が極めて小さいことを推知することができ、さらに右浅田常三郎の原審第十二回公判における証言によれば所論のような経過をとることは実験の結果に徴し非常に珍しい現象であつて万に一つの例といつてよいことを知り得るのである。

さらに、所論は本件火災の原因が第十一号壁前の電気座布団であることの証左として竹山説三の鑑定の結果、原審証人白木久次郎及び清水義行の各証言並に右証人等作成の検証調書等を引用し、以て十一号壁前の電気座布団並に床板が他の部分におけるものより最も焼損の甚しかつたことを主張するのである。しかしながら、竹山説三の鑑定書には所論のような記載はなく、その記載は同人の検事に対する供述調書にあり、また白木久次郎及び清水義行の原審公判における証言中には所論のような供述があるけれども、同人等が火災直後作成した前記検証調書によれば、床板の焼損は金堂東北隅十一号壁附近だけでなく西南隅においても同様に甚大であつたことが認められるのであつて、これによつてこれを見れば、同人等の供述は本件が想定された後において公訴事実に副うように強調されていることを疑わしめるものがあつて、直ちにこれを全面的に採用することはできない。しかのみならず、清水豊松の司法警察員並に検事に対する各供述調書及び杉本春吉の当公廷における証言によれば、金堂内における消火注水は最初東入口から西方に向つてなされ、西側壁画を破つて東方に向つて注水されたのはそれより後であつたことが認められ、これと訴因の主張する焔を発した全面的火災が極めて短時間に消し止められた事実とを彼此総合するときは、十一号壁附近における火災の消火が最もおくれたことを推認することができるから、仮りにこの部分にあつた電気座布団及び床板の焼損程度が他に比して最も甚大であつたとしても、これはこの部分における消火がおくれ猛火にさらされる時間が最も永かつたためとも解することができるのである。それゆえに、焼損の程度の点からは必ずしも右十一号壁前の電気座布団が火元であるとは断じ難いといわねばならない。

つぎに、所論は、二において、原判決がその理由の後段に疑点として掲げているところは、証拠の検討不十分の結果陥つた謬見であるとし、三において、放火でもなく炬燵、喫煙、電気座布団の配線工事その他施設による失火又は自然発火でないことは明らかであると主張するのである。

そもそも、刑事被告人に罪ありとするには、これを裏ずける適法な証拠がなければならず、しかもその証拠によつて犯罪事実の存在が合理的な疑いを容れる余地のない程度に心証ずけられることを要し、単なる可能性や蓋然性の程度に止つていてはならない。すなわち、犯罪の可能性が認められても、なお合理的な疑いが存するならば、犯罪の証明があるとすることはできないのである。そして、ここに疑いというのは根拠のないものであつてはならないと共に、非常に高度なものでなくても一応合理的なものであれば足りる。これを本件についていうと、電気座布団が出火原因となる可能性が認められ他におよそ火災原因として考えられる疑念が絶無であることが明らかであれば格別であるが、そうでなくなお一応合理的な疑念が残るにおいては、電気座布団から出火したものとして失火罪の成立を認定することはできない。ところが、所論が二において挙げているところは、原判決において他の諸点と共に訴因主張の事実を証するための証拠の信憑力乃至証明力を打ち消し又は弱めるものとして説示しているところであり、それを記録についてよく調べてみても所論のように証拠の検討不十分のために陥つた謬見であると一がいに断定できないのであつて、或は他に火災原因があるのではないかの一応の疑念を払拭しがたいのである。

なお所論は四において、原判決がその理由前段で認定した事実を(イ)乃至(ヌ)の十項目をもつて引用し有罪認定の正当性を強調するのであるが、それらを含め全記録によつて受ける心証は、せいぜい、本件電気座布団が本件火災の原因となり得ることを推認し得るだけであつて、すでに必ずしも短くない相当期間にわたつて使用されながら所論のような過熱又は電気火花によつて電気座布団の古綿に引火したことを直接覚知した者もなければまた右引火から所論のような経過によつて本件火災に至つたことを直接見聞した者もないのである。しかも右のように疑念が払拭しがたいとすれば、右に説明した理によつて、とうてい犯罪の証明があるということはできない。原判決が、原審に現われた資料のあるものによれば電気座布団が相当出火の可能性に富むと解するのが常識的であるに過ぎず、しかも他の資料で認められるところをも対照すると結局金堂の出火原因を電気座布団だと断定するには証明不十分であると説明したのは所論のように事実誤認であるとすることは、ついにその心証を引かないのである。

さて、ひるがえつて、法隆寺金堂は千二百余年前の創建にかかり、その建築と壁画とはその古さと芸術的価値とにおいて日本はもとより世界に誇るべき文化財であるこというまでもなく、それを保存工事中一朝にして奪い去られたことは惜しんでも余りあり、痛憤にたえないところであつて、これを創造しこれを今に伝えた祖先に対しても、また後々までひとしくこれを享有すべかりし子孫及び世界人類に対しても、遺憾の至情を表せざるを得ない次第であつて、それだけに火災の原因が客観的に正しく究明されるべきことの必要を痛感するものである。世論あるいは、原判決が一応常識的であると称したように、出火原因を電気座布団であると認め歴史もまたそうするかも知れない。そして、それはおのおのの自由である。しかしながら、われわれは、訴訟手続に現われた資料にもとづいてそのワク内で被告人の刑事責任の有無を判定することを職責としそれに止まるものである。かりそめにも、右痛憤のゆえに軽々しく万が一にも無辜を焼失金堂追悼の祭壇にいけにえとして供するようなことがあつてはならないのである。

同控訴趣意第二点(被告人大岡に対する電気事業法違反事件)について。

原判決末尾挙示の証拠によれば、被告人大岡が被告人浅野及び古西等と共に電気座布団を画家に使用せしめることを協議決定し、被告人古西において右決定に基ずきこれを購入使用せしめたことを認めるに十分であつて、原判決が被告人大岡の右協議決定の事実を認めながら、その後の使用の具体的事情については同人の関知しないところであるから同人の電気座布団使用に関する公訴事実はその証明がないと説明したのは当を得ていない。しかしながら、右電気座布団の使用が電気需給調整規則第十二条によつて禁止された煖房用電熱器に該当しないことは後に甘糟弁護人の控訴趣意第二点に対して説示する通りであるから、たとえ右公訴事実が証明されたとしても被告人大岡の無罪たることには変りがない。従つて、原審の右誤認は未だ以て原判決を破棄するに足りない。

以上のようにして検事の控訴趣意はいずれもその理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条に則りその控訴はいずれもこれを棄却する。

被告人古西の弁護人甘糟勇雄の控訴趣意第一点について。

被告人古西がその電気工作物施設変更について電気事業者の承諾を得なかつたこと及びその承諾のないことを知つていたことは原判決挙示の証拠によつて優にこれを認定するに足り、記録を精査しても右認定に誤りのあることを認められないから、(1) 及び(3) の所論はこれを採用することができない。

次に、電気事業法第三十八条が何人たるを問わずいやしくも電気事業者の承諾を得ずしてみだりに電気工作物の施設を変更した者をその事実行為者として処罰する法意であることは、同条違反については特に同法第三十九条第四十条の適用を除外している点よりしてもまた右事柄の性質よりしても極めて明らかであるから、被告人古西において電気工事請負人森村重一を使役して電気工作物の施設を電気事業者の承諾なくして変更した以上は、たとえ所論の増量申請の名義人もしくは責任者が国宝保存工事事務所長であるとしても、さらにまた使役された右森村重一が同じ罪責に問わるべきであるとしても、被告人古西の犯罪の成否にはなんらの影響がないのである。従つて(2) の所論もまたこれを採用することができない。

同第二点について。

原判決は、被告人古西が法隆寺国宝保存工事事務所に勤務し庶務一般のほか特に壁画模写等の事務を担当中相被告人浅野と共謀の上正規の許可を受けないで昭和二十四年一月十八日頃から同月二十五日までの間電気座布団を壁画模写中の画家に使用させた事実を認定し、これを以て電気需給調整規則第十二条違反であるとしている。しかして、右行為当時における規則すなわち昭和二十三年十月十九日総理府令商工省令第五号によつて改正された電気需給調整規則第十二条は論旨摘録の通りであつて、その別表(一)需用区分表の第四種需用(禁止需用)として掲げるところを見ると右電気座布団に関係があると認められるものはその甲類中の「煖房用電熱器」があるだけである。よつて本件電気座布団がそのいわゆる煖房用電熱器に該当するかどうかが問題となるのである。しかしながら、右にいわゆる煖房用電熱器とは房室を煖めるに使用するものを意味することは文字解釈上当然であるのみならず、電気用品取締規則の別表第八号表によれば、電気座布団は電気炬燵、電気行火、電気足温器と同類とせられ、これと相対立する電気ストーブと共に一括して採煖用電熱器として規定せられているから、煖房用電熱器はここにいわゆる電気ストーブに該当し電気座布団はこれと相対立する別個のものであり以上の両者を総称して採煖用電熱器としていることが明らかであつて、電気需給調整規則における煖房用電熱器も特に反対の趣旨の徴すべきものがない限りこれと同様の立場において理解するを相当とする。ひるがえつて、右需給調整規則別表中の第四種需用甲類を見ると、煖房用電熱器と共にその同類として掲げられているものは調理用及び湯沸用電熱器、電気風呂用電熱器(公衆浴場用のものを除く)及び電気温水器であつて、いずれも主として家庭におけるやや贅沢な用途に使用されるものであることを知るのである。しかも、同規則第十二条但書が住宅用として使用される一電気使用者の総容量が一、二キロワツト以下の調理用及び湯沸用電熱器については使用禁止の制限を緩和していることをも考慮するときは、同規則は家庭用であつて贅沢の度が低く使用電力の少い用途に使用される電熱器に対しては必ずしも一律厳格な使用禁止の措置をする要がないものとしていることが明らかであつて、電気座布団もまたこの趣旨からして禁止外に置く法意であると解すべきである。しからば原審が前示認定事実を以て電気需給調整規則第十二条に違反するとしたのは法令適用の誤りというほかはなく、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

なお、原審が被告人古西の右電気座布団使用が法隆寺国宝保存工事事務所の従業者としての業務に関する行為である趣旨の認定をしながら、これに対し電気需給調整規則第十二条のほか公益事業令附則第二十一項電気事業法第十五条の三第三十六条を適用したのは誤りである。けだし右電気事業法はその第三十九条を以て「法人又ハ人ハ其ノ代理人、同居者、雇人其ノ他ノ従業者ガ其ノ法人又ハ人ノ業務ニ関シ第三十四条乃至第三十六条又ハ第三十七条後段ノ違反行為ヲ為シタルトキハ自己ノ指揮ニ出デザルノ故ヲ以テ其ノ処罰ヲ免カルルコトヲ得ズ。」とし、続いてその第四十条を以て「第三十四条乃至第三十六条及第三十七条後段ノ罰則ハ其ノ者ガ法人ナルトキハ取締役其ノ他ノ法人ノ業務ヲ執行スル役員ニ、未成年者又ハ禁治産者ナルトキハ其ノ法定代理人ニ之ヲ適用ス。但シ営業ニ関シ成年者ト同一ノ能力ヲ有スル未成年者ニ付テハ此ノ限ニ在ラズ。」と規定しているから、被告人古西の前示所為がかりに電気事業法第三十六条第十五条の三に該当するとしても、その刑事責任は挙げてその使用者乃至は使用者の業務を執行する役員に転嫁せられ従業者たる被告人古西にこれを負担せしめない法意であると解しなければならない。されば原判決にはこの点においても法令適用の誤りがあるというべく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決中被告人古西に対する電気座布団使用の部分は以上二つの誤りのゆえにとうてい破棄を免れない。

ところで、原判決は、被告人古西に対し右電気座布団使用の事実のほかに電気工作物施設変更の事実をも認定の上両者併合罪の関係ありとし刑法第四十八条を適用して一個の主刑を言渡しておるから、すでに電気座布団使用の部分について破棄の理由が存する以上は、電気工作物施設変更の部分をも同時に破棄しなければならない。

同第三点について。

所論は単に共同弁護人の控訴趣意書及び原審弁論要旨を援用するというのみであつて、趣意書自体によつてその内容を知ることができないのみならず、共同弁護人の控訴趣意については後に必要な限度で判断を与えているから、こゝにその判断を示すことはしない。

被告人古西の弁護人片寄秀の控訴趣意第一点について。

被告人が庶務主任として原判示のような職務権限を持つていたことは原判決挙示の証拠によつて優にこれを認めるに足り、所論に鑑みその引用の証拠その他一件記録を精査しても右認定に誤りがあるとは考えられない。

同第二点について。

たとえ被告人古西が法隆寺国宝保存工事事務所において所論のような下級の地位にあり同人の原判示施設変更の行為が右事務所長たる相被告人大岡の命令によつたものであるとしても、電気事業者の承諾を求めたとか或はその承諾の得られない状態にあつたとかの事情も認められずまたその自由意思を抑圧せられたとかこの命に従わないことを期待することができない情勢にあつたとも認められない本件においては、そのことだけでは実行行為者たる被告人古西の電気工作物無承諾変更の罪の成立に消長を来すものではなく、また同被告人が関西配電株式会社の承諾のないことを知りながら右施設変更の挙に出たことは原判決挙示の証拠によつてこれを認定するに足り、所論を斟酌しながら記録を精査しても右認定に誤りがあるとは認められないから、これを根拠として無罪を主張する本論旨はその理由がないものといわざるを得ない。

同第三点及び被告人浅野の弁護人田万清臣の控訴趣意について。

まず刑事訴訟法第三百九十二条第二項に基き職権を以て被告人古西及び浅野に対する原判決の法令適用の当否を検討すると、被告人古西の弁護人甘糟勇雄の控訴趣意第二点に関して説示したように、判決に影響を及ぼすべき二つの違法があつてとうてい破棄を免れない。従つて本論旨に対してはさらに説明をしない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条第四百条に則り原判決中右両被告人の有罪部分はすべてこれを破棄し改めて次のように裁判する。

被告人浅野及び古西の原判示第一の一の(ロ)の所為に対しては右両名を処罰する法規がないから、刑事訴訟法第三百三十六条第四百四条に則り右両名に対し無罪の言渡をなすべく、被告人古西の原判示第一の一の(イ)の所為は公益事業令附則第二十一項電気事業法第三十八条に該当し、その法定刑は五百円以下の罰金又は科料であつて刑法第六条第十条によつてその後に施行された罰金等臨時措置法を適用すべきものではないから、右罰金額の範囲内において被告人を罰金五百円に処し、いろいろの情状を酌量し刑法第二十五条に則つて二年間右刑の執行を猶予し、労役場留置につき同第十八条、訴訟費用につき刑事訴訟法第百八十一条を適用して主文のように判決をする。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)

検事藤原正雄の控訴趣意

第一、原判決には業務上失火の点に付事実の誤認がある、本件出火は法隆寺金堂で使用していた不完全な電気座布団に基因することは証拠上明瞭であるに拘らず原判決は本件電気座布団は諸種の欠陥を有し、工学上極めて安全率が低く出火の可能性大なることを認めながら

(イ) 火災当日午前八時頃白木巡査が金堂東側に設置せられてある配電盤を点検した際、スヰツチが濡れていて既に何人かゞこれに手を触れた形跡を疑わしめる節があること

(ロ) 電気座布団の鉄クローム線の燃焼状態から見て、クローム線自体の内部にも強力な電気が通じていたが、長時間電気が通じていたこと及び螢光燈の無機線にも電気が通じていたとの疑念を持ち得ること

(ハ) 本件電気座布団の恒温器自体が密閉せられているため電流断続時と雖も外部に火花が出ないこと及び出火前日画家が退堂するまで何人も異臭を感ぜず、電気座布団にも特異事情を認めなかつたこと

(ニ) 出火当時、金堂内には本件電気座布団以外に螢光燈、膠沸し用電熱器、樹脂吹付用コンプレツサー配線等多数の電気器具及び電気施設其の他幾多の可燃物があつたこと竝びに金堂内陣の扉は容易に開け得る状態にあつたこと

等の認定事実により、電気による放火又は電気座布団以外の出火原因に基くにあらずやとの疑を持ち本件出火原因も電気座布団と断定するには未だ証明充分と云い難いとして無罪の言渡をしたのである。他に疑点を持ち得る事実があるから、電気座布団に因る出火に付証明不充分と云わざるを得ないとの原判決は、右理由自体に論理の矛盾があり首肯し兼ねるが、認定事実に付、左記の通り判決に影響を及ぼす事実の誤認がある。

一、電気座布団に因る出火であることは左記の各証拠上明かである。

(一)本件電気座布団は原判決が証拠上認定する如く、(イ)その恒温器の性能が不良で完全に働作しないことに因り、温度が上昇すること、(ロ)熱線が太過ぎて螺旋状に巻いてないため夫れ自体断線のおそれがあり且つこの熱線とコードは恒温器との接続部が固定せずために熱線が移動し断線又は短絡も易いこと、(ハ)コードと熱線との接続部に巻付けてある黒色綿テープが燃焼し易いものであること、(ニ)発熱部は少くとも二枚の石綿の間に固定さすべきであるのに直接燃え易い古綿の中に入れてあること等の諸欠陥を有し工学上極めて安全率が低いため百ボルトの電源に結ばれている場合には熱線の部分的過熱、断線、電気火花等により電気座布団の中の古綿に容易に着火し出火の可能性も有する不完全なものである。

(二)鑑定人浜田稔(東京大学教授)の鑑定書(百六十丁以下)の記載、同人の第十五回公判調書の供述記載竝びに同人の作成に係る法隆寺火災についてと題する書面(百七十二丁以下)の記載によれば、スヰツチが切つてあつても退堂の僅か前に電気座布団の綿に着火しており、それが無焔の侭燃焼を続け、綿から木製品等へと進行し、翌朝に至つて始めて火勢を増し、焔を出して火災となり本格化したものと思料され、その火災は比較的短い時間で消火されたものと思料されるが、斯る経過は出火の一般的性情より当然考えられるところである、無焔の間は堂内全体から見ると燃焼には差があるが、本格的火災になつてからは短時間で堂内を一様に燃焼せしめ得るのである、本件の電気座布団が如何にも危険なものであり、これより出火して本件火災を惹起し、前述の如き様相を呈することはないとは云えない、故に出火原因はスヰツチの切つてあつた電気座布団であつたと見ることは自然であると云える、恒温器が作働しない場合の飽和温度は二百度であるが、もつと低く製造されなければならない、恒温器はその局部の温度によつてのみ働作するものであり、仮りに恒温器から離れた部分が部分的に過熱され、綿に着火しても恒温器は働作しない、この電気座布団は熱線が移動するから断線又は短絡し易いので、この危険がある、この時無焔のまゝ綿に着火し絶対に消えることなく、十分間に約四糎の速度で燃焼するから恒温器が密閉されていても出火の危険は大きい、電気座布団の構造が出火の危険大であるから退堂直前に綿に着火する確率も大である。

(三)鑑定人竹山説三(大阪大学教授)の鑑定書(百四十三丁以下)、同人の検察官に対する供述調書の各記載(百五十九丁以下)、同人の第十四回公判調書の供述記載を綜合すれば本件電気座布団の恒温器は働かず電流が切れないから温度は昇る、そして実験の結果によれば綿は二百度位で焦げ初めるから、その後は電流が切れていても、焦げが拡がつて行くだろう、熱線は螺旋状に巻いてなく、且つ太いので断線し易い、そして熱線は固定していないから、断続部が接触することがあり、その際電気火花を発火し得る、コードと熱線との接触部も過熱されたり、或は固定されていないので火花を出すようになる、火花が出れば着火の惧のあることは前と同様である、しかも此処に巻いてある黒色綿テープは燃え易いものであるから、更に危険がある、又恒温器と熱線及びコードの接続部はナツトを二個用いて弛まないようにしておかねばならぬ、これが一個では弛む、特に熱線は硬いから弛み易い、恒温器は固定されていないから、火花を出し、従つて着火の惧がある。

(四)中内俊作、堀内三郎等作成の国家消防庁消防研究所の法隆寺火災調査報告(三百九十七丁以下)、押収に係る法隆寺の電気座布団の鑑定結果についてと題する冊子の各記載竝びに証人中内俊作、同堀内三郎の第十六回公判調書の各供述記載によれば、恒温器と鉄クローム線との接触部分の火花から綿に着火する、これは電気座布団の普通の働作温度内にあり何等異臭を発しない状態にあつても、突然に着火し得る、そして着火する時は多分坐つている人が動く時などに接続点が弛んで着火するのであらうから、退出時に起り得る、そして実験によつても着火から発煙まで少くとも三十分は要するから、その着火に気付かずして退去することはあり得るところである、かくして一度電気座布団に着火したならば、下の普通の座布団に延焼し、その下の台に延焼することは確実である、木の台に着火した時刻は、もし電気座布団からの出火とすれば午後六時三十分乃至午後七時頃であり、そして翌日午前五時乃至六時過頃迄無焔の状態の着火がそのまゝ持続したものと推定されるが、かかることはあり得ないことではない、又キナ臭いことは余り程度の高いものでなく寒い室では気付きにくいものである。

(五)証人浅田常三郎(大阪大学教授)の第十二回公判調書の供述記載によれば、退堂前一分位前に出火してそれが電気座布団を焦し、次第にコード等に延焼して翌朝偶々セルロイド等の可燃物のある所まで延焼して行つて火災となることは万が一ではあるがあり得る。

(六)鑑定人松田長三郎(京都大学教授)の鑑定書(二百十四丁以下及び二百九十七丁以下)、同鑑定人の第十五回公判調書の供述記載によれば、火災当時スヰツチが切れていたとすれば電気座布団による出火は極めて可能性が少いが、電流遮断以前にコードと熱線、恒温器と熱線との接続が悪い場合とか、乱暴な取扱のための熱線の断絶により、不安全接触をしている場合にはその可能性がある、又恒温器と熱線と取付けたナツトが弛んでいてスパークも起した場合、又は此の接触点を綿テープで巻いてあるとき、そのスパークで綿テープがボロボロになつた場合において着火する惧はないとは云えない。

かくの如く、本件電気座布団に関する各鑑定人や各証人は電気座布団がその恒温器の調整不良による熱線の過熱竝に熱線の切損部や熱線と恒温器との接続部の弛みから生じた電気火花によつて、その中の乾燥した古綿に引火したものであると述べている。

(七)前記浜田鑑定人は退堂時にスヰツチを切つたとしても、若しその直前に電気座布団の綿に着火しており、それが無焔のまゝ燃焼を続け綿から木製品等へと進行し、翌朝に至つて始めて火勢を増し、焔を出して火災となり、火災が本格化して比較的短い十数分と云う時間で消火された経過は火災の一般的性状より当然考えられるところである、無焔の間は堂内全体から見ると燃焼には差はあるが、これに続く本格的火災により、十数分間で堂内を一様に燃焼せしめ得るのである、綿に着火すると、無焔のまゝ漸次拡大し、一時間乃至一時間半で出火座布団がポカポカといつこた火となり、これが模写台に着火し、漸次無焔着火のまゝ延焼して空気の動き易い部分迄延焼すると、その時始めて発煙に至る、金堂の内部が燻つていても外部から気が付かないのは周囲から空気を吸入して上に発散するから臭気を感じないことがあるし、特に無風の状態では尚更である。

(八)前記浅田常三郎の検察官に対する供述調書の記載(三百九丁以下)によれば、「退去前一分位前に出火してそれが電気座布団を焦がし次第にコード等に延焼して翌朝偶々セルロイド等の可燃物のある所まで延焼して行つて火災となる事はあり得ることである。

(九)前記竹山説三の検察官に対する供述調書の記載によれば、電気座布団が焦げ始めてから、全部が焦げる迄には少くとも一、二時間は要するだらう、下の座布団やその下のござ等が焦げてしまうまで少くとも三時間はかゝるだろう、但しまだ炎を出さずに焦げている、ござから座布団のコード、螢光燈のコード等を伝つて焦げがひろがり、床板をも伝つて焦げがひろがつて行くだろう、そして金堂の床面全体に焦げがひろがり、偶々セロハン又はカーテンのところ迄焦げがひろがつた時に、それから炎を出す原因となる、一個所から炎が出れば、床全体から一時に燃え上る、そしてその時期がまだ消火の為の開扉が行われる前であるならば、略々一様に燃焼する、斯様にして電気座布団の着火から炎上まで相当の長時間を要するものと想像される、金堂は全くの密閉でなく、工事用の仮屋根と旧金堂との間がかなり大きく開いていて、燃焼ガスの出口としては好適である、もし金堂が完全な密閉室であれば堂内が一様に燃えることはないが、右の開口があるのであの様な燃え方は可能である、即ち火災はその原因発生から発焔までは短いものは瞬時から長いものは数日にも及ぶものであつて、この時間が十五時間にも及ぶことは屡々あるものである、そして焔を出し初めるまでは、堂内の燃焼は決して一様ではなく、全く燃焼していない部分も多く残つている、しかし一度何処かに焔が発すれば、その後は火災は急ピツチとなるものであり、本件においてはその前後に金堂から出火していることが最初に気付かれたのである(前記浜田鑑定人の鑑定書の記載)、画家が電気座布団を使用中発火する時は、多分坐つている人が動く時などに接続点が弛んで着火するのであるから、退出時に起り得る(前記国家消防庁消防研究所法隆寺火災調査報告の記載)、又火災と云うものは常識を以て判断に苦しむようなことも起り得る場合もある(前記松田鑑定人の鑑定書の記載)から退堂の寸前に而も画家達が今まで使用していた電気座布団から立上る際或は膝の上にのせていた電気座布団を膝から模写台の上に置く際に、電気座布団の中の恒温器と鉄クローム線との接続部から出た火花等のために、中の綿に着火する危険は非常に大であるから、退堂の準備をしている画家が、それに気付かずに退去して出火するに至つたものと考えるべきである、蓋し不用意や不注意の間に、その原因が発生し、而もそれに気付かないのが失火の本質である。

(一〇)而して本件火災の発火点は第十一号壁前にあつた電気座布団であることは明らかである、即ち竹山鑑定人は十一号壁前から発見された三枚の電気座布団の中には、その熱線が片々の断片となつているのがあるがこれは他の電気座布団に比べて多く熱を受け、千度以上で相当長時間熱せられたために、その熱線が断片となつたのであると鑑定している、又証人白木久次郎の前記公判調書の供述記載によれば、十一号壁前から押収した三枚分に相当する電気座布団以外の九枚は何れも押収当時その表面のみが焼けて居り、その電気座布団のあつた床板すら焼けていない部分があつたと述べている、更に司法警察員作成の検証調書の記載並に証人清水義行(第十一回)同白木久次郎の公判調書の各供述記載を綜合しても、東北隅即ち十一号壁前の床板は原形を止めない迄に焼けて殆んで炭化して居り、他の部分に比して燃焼の程度が甚しかつたことが明かである、又浜田鑑定人も電気座布団の焼け残つたものは比較的低い所にあつたことと、綿は非常に熱伝導が低いので、普通の火災の場合でも、内部が本件の金堂以上に焼けても綿の内部が焼け残つているものが往々ある、従つて逆に云えば、最も焼けた電気座布団が出火の原因であると推察出来ると鑑定している(浜田鑑定人の鑑定書の記載)のであつて、押収に係る電気座布団を検討しても、十一号壁前にあつた電気座布団が本件出火の原因であることが明かになるのである。

二、冒頭掲記の判示諸事実に基く疑問は、証拠の検討不充分の結果陥つた謬見である。

(イ)電源室のスヰツチが濡れていて何人かゞ出火前これに手を触れた疑があるとの点に付証人白木久次郎の第八回公判調書中の供述記載を検討すれば、同人はスヰツチのハンドルのエナメルの部分が濡れていると直感したが、濡れていたのはスヰツチのハンドルのみでなく金属製の配電盤の扉の内側にも露が浮いた様に濡れていて、恰かも散髪屋や風呂屋の硝子が曇る様になつていたので、火災の熱とホースの水が外部から電源室の板の隙間からその中へ入つて、この様な現象が起つたものと思うと述べているのである、薄い板で造られた電源室は金堂裳階の東入口北側に接して設けられてあり、白木巡査が配電盤を点検したのは午前八時頃既に火炎が消火された頃であつて、消火のための水が電源室に入つてこの様な現象を起したものであることは、単にスヰツチのハンドルが濡れていたゞけでなく、配電盤の内部も同様に濡れたようになつていたことからも窺われるのである、証人佐藤亮拿の第四回、第十三回及び第十八回公判調書の各供述記載によれば同人は白木巡査が電源室に入る以前に既に電源室に入り、配電盤の中のスヰツチのヒユーズを点検するためにスヰツチのハンドルに手を触れているのであるから右の白木証人の前記供述記載や証人吉田覚胤の第九回公判調書の供述記載によつて、火災の前日画家大山忠作が金堂退出に際しスヰツチを切断してから以後において、何人かゞ電気を通ずるためにスヰツチに手を触れたとは考えられず、これを以て本件出火が電気座布団に基因することを否定する消極的証拠とすることは出来ないと思料する。

(ロ)電気座布団の鉄クローム線及び螢光燈の無機線には強力電気が通じていたものでなく、又は長時間電気が通じていたものでもない。

(1) 前記鑑定人竹山説三の鑑定書並に同人の第十四回公判調書中の供述記載によれば、ニクロム線に付着している石綿の内部が黒くなるのは熱線が灼熱点に達していればなるが、灼熱点に達していない時にも黒くならないとは云えない、灼熱点は六、七百度であるが、画家がスヰツチを切つて電流を遮断していた時の灼熱か、電流が通じていての灼熱かは不明である、電気座布団の中の熱線が六百度にもなれば、その中の綿は燃える、石綿が内部から焦げていたことは熱線に過大電流が流れたか、長時間電気が流れていた場合であるが、電流が切れていても、切れる当時までに既に電気座布団に異状があれば此の状態になると述べている、本件電気座布団が極めて不完全で、電気座布団の電流を遮断する以前に電気座布団の中に異状が起つて居れば、その灼熱のために石綿が黒くなるのであつて、竹山証人は本件の場合に、電気座布団の電流を遮断していなくて過大電流が流れたか又は長時間電気が通じていたものである。

(2) 前記竹山説三の公判調書の供述記載は螢光燈の屋内配線の焼けたものを一部見たが、これは火災の灼熱のために熔けたものと思つたと供述して居り、螢光燈の無機線(配線)に電流が通じていたとは供述していない、又証人岩崎友吉の第十二回公判調書中の供述記載によれば昭和二十四年一月二十八日金堂廻廓東側で先端が直径二、三糎の扁平の塊になつている螢光燈に使用されていたと思われる銅線を見たが、木材等が焼ける温度ではその程度になることは考えられないので、電気が通じていたためかとも思うがそれもフユーズの関係もあり、簡単には云えないと供述していて、電気によつて熔けたものとは断定していないのである。此の点に関し前述の松田鑑定人は、火災の時、金堂内の温度が銅の熔解点たる千八十三度以上になつていたことは事実である、熔解した銅が、シヨート又はスパークにより電気的に急激に熔断したものとすれば、自分の見たような熔け方をせず、飛散すると思われるが、その熔解が電気的な原因に基くとは考え難い、然し銅片のあるものには瓦斯の出た痕跡があり、又非常に軽く密度の小さいものもあるから、此の点から見てもやはり急激に熔けたものとは云えないし、又非常に美しい銅色をした熔解銅片があるが、これは高温度の還元焔に曝されたためである、又銅線に過大電流が流れる時に熔断することがあるが、この銅線を熔断せしめるためには約二百アンペアの電流を流さなければならないのに、配電盤のスヰツチのフユーズは熔けていなかつたのであるから、金堂内にかかる大電流が流れなかつた筈であり、電流の通過による熔断ではないと鑑定している、又前記浜田鑑定人は火炎当時金堂内の温度が千度以上に昇り、銅線の熔けたのは電気の熱のためでなく、普通の火災即ち木材等の焼ける熱で熔けたものと思う、銅は千度以上で熔けるが、普通の火災跡でもよくこのような場合があると鑑定している、更に前記証人浅田常三郎も銅線は火災の熱で熔けたものと思う、一般に銅は千八十三度が熔解点であるが、金堂の火災の場合はそれより温度は若干高かつたと思う、金堂にあつた銅線は千八十三度より少し高い温度で熔ける、尚無機線は普通の銅線より熔け易いと供述している、右の如く螢光燈の無機線が熔解したのは、電気的な原因でなく、火災の熱のためであるのに、これに電気が通じていた疑があるとする原判決の認定は誤つていると云わねばならない。

(3) 電流が通じていて火災となれば配電盤のスヰツチのフユーズは切れなければならないのに本件火災のため配電盤のスヰツチのフユーズは切れていない、本件の電気座布団には、座布団から、約九十糎の個所に中間スヰツチがあり、そのコードがテーブルタツプに差し込み得るようになつている(証人森村重一の第三回公判調書中の供述記載参照)、仮りに配電盤のスヰツチを切り忘れていて火災となつたとすれば、電気座布団からコードに延焼し、電気座布団の中間スヰツチからテーブルタツプまでのコードが焼け、更にテーブルタツプから配電盤にある電気座布団のスヰツチまでのコードに延焼してゆき、この間のコードが燃焼すれば、電気座布団のスヰツチに入つている三十アンペアのフユーズは切れなければならない(前記浅田常三郎の検察官に対する供述調書の記載)、電気座布団の熱線の周囲が焼けて熱線と熱線とがシヨートすればフユーズが切れることは前記松田鑑定人、中内証人の前記公判調書中の各供述記載及証人本田房喜の第四回公判調書中の供述記載によつて明かである。

証人佐藤亮拿の前記公判調書中の供述記載によれば昭和二十四年一月二十六日火災の現場へ行き配電室へ入つて配電盤のスヰツチを動かして調べて見たが、スヰツチは切れてあり、フユーズは切れてなかつたのであるし、其の後間もなく白木巡査が吉田覚胤と共に配電室に入つて配電盤のフユーズを点検したがスヰツチは切れていてフユーズは異状がなかつたので、他の者が配電室に入らないように配電室の入口に手錠をかけて出て来たのである、佐藤亮拿がスヰツチを点検してから約三十分後には白木巡査が右のように配電室に手錠をかけているので、僅か三十分の間に、而もまだ金堂の火災が鎮火せず大勢の人が消防作業に従事しているところで佐藤がフユーズの取換えをしたとは到底考えられないところである、配電盤へは、廻廓東側の電柱から引込線で送電しているが、証人田中岩次郎の第七回公判調書中の供述記載並びに同人に対する証人尋問調書中の供述記載(四百十丁以下)によれば、一月二十六日午前七時半頃、西里一号の変圧器の百ボルト即ち金堂の引込線側にあるスヰツチを切つたがその際四十アンペアーのフユーズを見たが異常はなかつた、火災のあつた日から二日位して日本ニユースの撮影班の人が来て金堂の写真を撮り度いから送電してくれと云つて来たので、火災の日に切つて置いた西里一号の変圧器のスヰツチを入れて送電した、日本ニユースの人は廻廓東側の電柱から引下して、そこから来る電気で撮影をしていたが、その際、その電柱の保安装置を点検したが、フユーズは黒くなつていたから取換えたものではなかつたと思うと供述しているのであつて、金堂の火災による配電盤其の他のフユーズには何等異常がなかつたことが認められるのである、従つて火災当時、金堂内の電気座布団其の他の電気器具に電気が通じていたとは到底考えられないのである。

(ハ)電気座布団の恒温器が密閉せられていて外部に火花が出ないことは電気座布団を出火原因とすることの消極的理由とはならない、恒温器はその局部の温度によつてのみ働作するのであるから、恒温器から離れた部分が部分的に過熱されて綿に着火するようになつても、恒温器は働作しない、そして一度過熱により熱線と綿との接面が部分的にでも二百度余りになると綿は無焔のまゝ着火する(前記浜田稔鑑定書の記載)、かくの如く本件電気座布団の中の恒温器が密閉されていても綿に着火することは既に詳述したところであるから、恒温器が密閉せられていて外部に火花が出ないことを以て出火の原因を電気座布団とすることの消極的理由の一とすることは恒温器の機能を理解せず且つ本件電気座布団が工学上極めて粗悪品で、出火の危険が大であることを忘却した誤つた見解だと云わなければならない。

(ニ)金堂内に諸種の電気施設や電気器具が存在したが、電気座布団を除くこれらの電気施設や電気器具は本件火災の原因でないことは後記(三の(ニ)(ロ))において叙述する通りである、金堂内に幾多の可燃物があつたこと並びに金堂内陣の扉は容易に開け得る状態にあつたことは明らかであるが、前述の出火原因並びに焼燬の状況から見てこの事実を以て本件火災の原因を電気座布団とすることの消極的理由とはなし得ないものと思料する。

三、本件出火が電気座布団の不完全に基因することは前段説明の通りで、放火又は電気座布団以外に基因する出火でないことは本件訴訟記録上明かなる左記の諸事実からも推断し得る。

(一)本件火災には放火と疑う余地はない、本件捜査当時、法隆寺執事吉田覚胤に対する殺人未遂被疑事件が発生して居り、この火災が同事件と関連ある放火ではないかと考え、法隆寺山内の僧侶及び法隆寺国宝保存工事事務所関係者並びに広く法隆寺山内及びその附近に居住する人々等関係ありと思料さるゝ者について捜査したが、金堂の火災は右の事件とは関連なく又本件が放火であると疑はしむる資料は一として得られなかつたのである、若し本件の火災が電気を原因とするものでなければ、短時間に金堂の内部が同程度に燃焼するためには、可燃物等の状況等から考えても、石油其の他の媒介物が必要であると思われるが、昭和二十四年一月二十六日即ち本件出火の当日、現場の検証の際に、金堂内部の各所から土、灰等を集めて石油等の検出を試みたが、それが発見せられなかつたのみならず、検証現場からは放火の証拠品と思われる物は何一つとして発見されなかつたのである。

次に本件出火は電気による放火でもないことは左記の事情からも推論し得る、金堂の配電盤は外部から比較的容易に出入出来るところにあるが、法隆寺に関係のない外部の者は配電盤のスヰツチ関係を知らないであろうし、特に電気座布団関係の電気施設は本件火災の約十日前に設置せられたのであるから尚更である、そしてもし夜間に全部のスヰツチを入れたとすれば、螢光燈も点火するのであるから、夜廻りの中谷音次郎も、前夜午後十二時頃金堂の前の道路を通つた西岡常一も、又火災当日の早朝暗い中を勧行のため金堂の前を通つて聖霊院への道を往復した佐伯定胤吉田覚胤等も当然金堂から洩れる螢光燈の光には気が付いていた筈であるのに、これらの人々は孰れもその様な光を発見していないのである、然らば工事其の他の金堂の事情に精通した人がメインスヰツチと電気座布団のスヰツチを入れ、更に金堂内の電気座布団の差込みと中間スヰツチを入れて電気座布団に電気が通ずる様に仕做して放火したのであらうか、この事は配電盤又は電気座布団に精通した工事事務所の関係者又は画家以外には考えられないのであるが、法隆寺の国宝保存の職務にあるこれらの人々が、金堂の美術上の価値を十分に認識しながら、自ら放火するとは到底考え得られないことであり、又金堂に放火しなければならない程錯雑した事情はこれら関係者の内部に存在していなかつたのである、かゝる見地からすれば本件の火災は到底放火とは考えられないのである。

(二)本件火災は炬燵、喫煙、電気座布団の配線工事、其の他の電気施設等に因る失火でもなく又自然発火でもない。

(イ)本件記録上本件火災の前日には、金堂内に電気以外には全然火気がなかつたのである。画家橋本明治の使用していた炬燵は当時使用しておらず、画家其の他の職員等が金堂内で喫煙することもなかつた上、現場の状況から判断して自然発火とも考えられない。

(ロ)本件火災は電気座布団の配線工事、其の他の電気施設がその原因とも考えられない、当時金堂には螢光燈、膠沸し用電熱器、コンプレツサー用配電及び電気座布団の電気器具並びにこれらの電気施設があつた、その内、螢光燈及び其の配電施設は最良の資材と最善の工事を施してあるので出火の原因とはならず(マツダ新報第二十八巻四号所載マツダ照明学校岡崎公男外二名作成の「法隆寺金堂壁画照明」百三十丁以下及び関重広に対する司法警察員作成の供述調書百三十五丁以下の各記載)コンプレツサー用の電気施設は壁画の剥落防止のため使用していたのであるが火災の数日前からその使用を中止していたのであるから、本件出火の原因とはならない、又膠沸し用電熱器は六十ワツト(六百ワツトにあらず)の甚だ小さいもので陶器の器の中に入つていたから、この電熱器の上に紙綿等の可燃物を落さぬ限りこれから発火するとは考えられないところであり、しかもかゝる原因による発火ならば直ちに人の気に付く(前記国家消防庁消防研究所の法隆寺金堂火災調査報告の記載)から、この電熱器も亦本件出火の原因ではない、次に電気座布団の配線工事(電気座布団そのものではない)は普通一般の配線工事であつて、普通家屋の配線と同程度の注意が払われて居り、施設後二、三ケ月で漏電事故を起す可能性はない(前記鑑定人松田長三郎の鑑定書の記載及び前記法隆寺金堂火災調査報告の記載)のであるからこれも亦出火の原因とはならないのである。この様に金堂内の電気施設や電気器具を検討すれば本件出火の原因はこれを電気座布団以外に求めることが出来ないのである、原判決は金堂内に諸種の電気器具や電気施設のあることを認めたのみで、電気座布団以外の電気器具並びに電気施設が右の如く何等本件出火に関係のないものであることに対し、考慮を払つていないものと思われる。

四、原判決は証拠により

(イ)被告人井上渉は電気座布団製作の知識経験に乏しいのに拘らず専門家の指示によらず自ら直径〇、三粍全長約十七米の鉄クローム熱線に直径約二粍の石綿糸三本を捲付けたものと、右石綿糸三本丈けを撚り合せて石綿紐とを交互に並べて簾状に編み二重金属(バイメタル)式恒温器を連結し右熱線と恒温器との接続部は締金(ナツト)一個のみを以て締付けたものをその侭古座布団の古綿内に挿入し、これに長さ約二米の第二種袋打可撓紐線と呼ばれる二蕊入りのコードを取り付け、座布団から約九十糎の個所に中間スヰツチを入れ、コードの一端は約二糎に亘りその被覆を剥ぎ去り裸線として直接熱線に撚り合わせその上を約十糎の黒色綿テープで捲き、他の一端は恒温器を通じて熱線に連なつている電気座布団十三枚を製作したこと

(ロ)右の電気座布団は前記一の(一)記載の如き諸欠陥を有し、工学上極めて安全率が低いため、百ボルトの電源に結ばれている場合には、熱線の部分的過熱、断線、電気火花等により電気座布団の中の古綿に容易に着火し、出火の可能性を有すること

(ハ)電気座布団の製作に用いられた綿は再生綿で比較的発火し易く又速く燃える性質を有すること

(ニ)昭和二十四年一月十八、九日頃画家等が使用する電気座布団の中三枚に電気が通じなかつたので佐藤亮拿において調査したところ、その中の二枚は恒温器の捻子に締付けてあるコードが弛み分れかけており、他の一枚は中間スヰツチの銅板が薄く曲つていて接触が悪かつたこと及び同月二十一日頃被告人古西武彦が高島屋京都支店で松本儀八から電気座布団四枚を受取つた際、導通試験の結果その中一枚は恒温器と熱線との接触が悪く電気が通じなかつたので、その部分を締付けたら電気が通ずるに至つたこと

(ホ)画家等は電気座布団の中間スヰツチを切つて温度の調節を計りつゝ使用し、九号壁担当画家桑原清明は、電気座布団を自己の膝の上に乗せて使用したが、熱過ぎたため中間スヰツチを切つたことがあること

(ヘ)画家等は退堂に際し電気座布団のテーブルタツプの差込は殆んど抜かず、大部分は中間スヰツチを切断するのみで退堂の際の電気の後仕末は画家の自治に委されていたこと

(ト)出火の前日即ち昭和二十四年一月二十五日画家等が退堂に際し大山忠作が電源室で主スヰツチ、電気座布団のスヰツチ等一切のスヰツチを切断したこと

(チ)金堂の出火を外部から発見したのは昭和二十四年一月二十六日午前七時二十分頃であつたこと

(リ)金堂内の電気座布団及びその施設を除くその余の螢光燈の電気設備は大体において安全であつたこと

(ヌ)本件が電気座布団に因る出火と仮定してその出火から発焔時迄十五時間に及ぶことも理論及び経験の上でもあり得ること

等を認定している、然らば本件火災は原裁判所認定の事実及び叙上の諸証拠に懲し被告人等四名の業務上の共同過失に基く失火であると云うべきである、然るに金堂出火の原因を電気座布団なりと断定する証明が不充分であるとして無罪の言渡をした原判決は、重大な事実の誤認があり右誤認は判決に影響を及ぼすものであるから当然破棄を免れないものと思料する。

第二、原判決には電気事業法違反の点に付事実の誤認がある、原判決は被告人大岡実に対する電気事業法違反につき被告人大岡は金堂内で電気座布団を使用することを協議決定したのみでその使用につき何等関知することがなかつたと認定して無罪の言渡をしたが、これは事実の誤認である、即ち、従来国宝の管理保存殊に火気の取扱については、特別慎重な注意がなされて来たことは、これらの寺院等にある国宝が現在に至るまで長期間に亘つて火災の災害を蒙ることなく、完全に保存されて来たことによつても明かである、我が国最古の木造建築物と称せられる法隆寺の金堂が、千数百年の長きに亘つて火災にあうこともなく保存せられたのも、寺院の関係者や出入する者などがすべて火気の取扱を厳にして来たからである、従つて法隆寺金堂の壁画の模写に際しても火気の使用は許されていなかつたのである、然るに昭和二十三年十一月初旬模写促進のため、冬期もこの事業を継続するにあたり、画家の採煖用として金堂内で電気座布団を使用する議が起つたのである、国宝保存の職務に従事する人々の間に、金堂内で火気を使用するという、重大事案に対し、法隆寺国宝保存工事事務所長であつた被告人大岡実がその協議に参加しこれを決定したこと(被告人大岡実の検察官に対する昭和二十四年六月二十三日付供述調書百六十七丁以下、被告人浅野清の検察官に対する同年三月四日付及び同年六月二十一日付各供述調書二百三十九丁以下及び二百四十七丁以下、被告人古西武彦の検察官に対する同年三月八日付供述調書百九十三丁以下の各記載、被告人大岡実、同浅野清、同古西武彦の公判廷における供述)は、事の重大性に鑑み当然のことである、当時電気需給調整規則が実施せられていて、電力不足の際であり、一般に特殊の電気器具の使用が禁止せられていたこと、証人森田霜四郎同本田房喜の第四回公判調書中の各供述記載、小寺晴雄の検察官に対する昭和二十四年三月九日付供述調書百六十一丁以下の記載)は、世人一般が知悉していたところである、従つて電気座布団の如き特殊の電気器具を使用することを承認する以上、これが使用について特別の許可と手続を必要とすること(前記小寺晴雄の検察官に対する供述調書の記載)は当然のことで、電気座布団の使用を決定した者は、現実にこれを使用した者と同様に、共同使用者として、使用についての責任を負わなければならない、被告人大岡は法隆寺国宝保存工事事務所長で、これら電気座布団の使用につき許可の手続を執るべきであるのに、自らこれを為さなかつたのみならず、その使用を協議決定後、被告人浅野清、同古西武彦等に対して正規の許可を受けて後に使用すべき旨の注意を促したこともない(前記被告人大岡実の検察官に対する昭和二十四年六月二十三日付供述調書の記載)のであるから、使用者として共同正犯の責任を負わなければならないものである、されば原判決はこの点に付事実の誤認をなしたものと云わなければならない、而して右の事実の誤認は判決に影響を及ぼすことが明かであるから当然破棄を免れないものと思料する。

被告人古西武彦の弁護人甘糟勇雄の控訴趣意

第一、判示第一(イ)の事実

旧電気事業法第三十八条の電気事業者の承諾の点でありますが本件に付きては

(1) 電気事業者が事前承諾を与へたものであります、承諾は何の規定もありませんから必ずしも書面による必要はありません。此の点に関し証人森田霜四郎同本田房喜は之を否認して居りますが

(一)昭和二十三年十一月十六日頃証人等が現場を見に行き電気座布団の話が出たことワツト数性能等の話しのあつた事は証人の供述して居る処であります(森田)、加之森田の証言として「左様なもの使うてもろうては困りますね」と話したと云つてる、茲に矛盾があります、使用の話しがないのに使つては困ると云う筈はないから使うと云う話しのあつたことは認められると信ずる。

(二)森田は電気座布団は使つては困ると言つたと証言し本田も之を肯定して居るが「禁止品ですが監督官庁である通産局の特別の許可があれば使用出来ます、会社としては認める権限はありません」と述べて居る、又森田は電気座布団は第四種需要ですから年間通じて全地域に亘り禁止品でした」と供述してるが第四種需要には電気座布団の明示がないから煖房用電熱器の中に包含せられて居ると考へたと見るより外ない、然るに森田は第四種需要の五百ワツト電熱器使用について届出の有無の間に対し「控室の方は確か三百ワツトとして届出がありましたが六十ワツトの膠沸しの方は一個も届出はありませんでした、然しそれも増量申請の件で見に行つた際之に使用していたのを見ましたから認めたことになつています」と供述して居る、五百ワツトの電熱器六十ワツトの膠沸し電熱器二十五個の使用を許可し乍ら「六十ワツト」以下の電気座布団の使用許可を拒否したこの証言は矛盾撞着の甚だしいもので到底信用出来ない、第四種需要で禁止してるのは煖房用電熱器である、然るに森田の証言によれば通産局の許可がなければ承認出来ない電熱器の使用を承認したことになる。

(三)然らば此の矛盾を如何に解釈すればよいのか、当時の法隆寺には電気の使用制限があつた、そこで八百キロの増量申請があつたが現場に臨み七百幾キロに許可決定したと云うて居るから許可量までなら煖房用電熱器に使用してもよいと云う結論に達すると信ずる、従つて許可量までなら電熱器でも電気座布団でも使用可能の状態であつたと見るべきであつたかと解する事により始めて各証人の証言の意味も活きて来るのであつて電気座布団使用も自由であり其の施設変更にも例へ明示の承認がなかつたとしても承認されて居たと解さるゝものと信ずる。

(四)以上の趣意が明確にされず漫然証人等の証言に基き承認を得ずと判示したのは、審理不尽採証の法則違背の判決と信ずる。

(2) 仮りに原判決摘示の如く事業者の承諾なくして電気施設を変更したとして其の責任者は誰かの問題であります。電気座布団の使用は古西個人の使用ではない、法隆寺国宝保存工事事務所の仕事であり其の責任者は大岡所長である、従つて増量申請の名儀は大岡であつた、故に若し電気座布団使用のための施設変更許可願が出されるとすれば大岡の名で出されなければならぬ、古西が庶務主任と判示されたことの不当に対しては一審に於て古西被告の争う処であるが仮りに庶務主任として許可申請しようとしても決して古西の名前でやるべきではなく大岡所長か浅野所長代理の名で出さるべきである、故に若し電気事業法第三十八条が需用者を取締る法条と解するならば大岡所長浅野所長代理其他の関係者に於て使用決定し其の実施を命ぜられたる古西が電気座布団使用のための施設変更承諾を求めずして変更したと云うことがあつても其の責任は古西が負うべきでなく大岡か浅野が負うべきである、勿論大岡か浅野対古西に対する責問は別の問題である、若し電気事業法第三十九条には三十八条の適用がないから古西が責任者であると云うことであるなら寧ろ実際に承諾の有無を慎重に調査して後着手すべきに之を軽信して之を変更したる工事人森村重一の責任を問わねばならぬこととなる。

(3) 古西には故意がない、森村重一は事務所から使が来たので私が行くと金堂の入口の所で古西さんから電気座布団の取付工事をして貰いたいと云われ私は工事請負人として会社の承認がなければ工事が出事ないので許可の方はどうなつて居るかと聞くと古西さんは会社は了解済だから急いで欲しいとのことでした、と供述して居る、古西被告は電気座布団使用に対しては会社側へは前年十一月巳に話し済であるので其侭云つたものと思惟する、電気工事は需用者と工事人と連署して会社に工事承認願を出すことになつて居るが需用者としては此の如き手続が必要であるか否か知らない、殆んど工事人任せである。従て了解済と云う事は了解済だけの意味で其以上の事は工事人が当然なすべきで又為してくれたと信じていたのである、従前の例も其通りであり今次も亦同様と心得ていたのであるから古西には犯意がないのである、

此の如き事案は電気工事に関係ある者か亦は故意に盗電等の場合に電気施設変更する者の為す以外の場合に於ては電気需用者の等しく認めらるゝ処で細川証人の証言によるも施設変更許可の手続は工事業者のサービスに非ずして義務なりとまで供述する処である、従て此の点に於ても被告古西は当然無罪たるべきものと信ずる。

第二、判示第一(ロ)の事実につき

原裁判所は古西に対し公益事業令附則第二十一項旧電気事業法第十五条の三第三十六条四号昭和二十四年十二月十二日通商産業省令経済安定本部令第四号による改正前の電気需給調整規則第十二条に当ると判示したが承服し難い。

(1) 弁護人は電気座布団は同規則の第四種甲類にも乙類にも包含せられないものと主張するものである、電気需給調整規則は電気事業法第十五条の三の規定に基き出来たもので其の第十二条に電気の使用禁止又は制限を規定して居る、即、電気使用者は左の期間中は第四種需用の設備に電気を使用することが出来ない、但し商工大臣又は商工局長の特に指定する者が之の指示に従つて電気を使用する場合は此の限りでない。

一、第四種需用甲類の設備には一年を通し全期間但し別に告示する地区において住宅用として従量制により使用する一電気使用者の総容量が一、二キロワツト以下の調理用及び湯沸用電熱器については告示する期間

二、第四種需用乙類の設備には商工大臣又は商工局長の指定する期間とある、而して本件に関係あるのは第四種需用である之を摘記すれば、

三、第四種需用(禁止需用)区分、設備、甲類、煖房用電熱器調理用及び湯沸用電熱器、電気風呂用電熱器(公衆浴場用のものを除く)電気温水器

乙類 電気製塩其の他略

即乙類中には含まれざること明かであるので検察官は甲類に包含せられあるから商工大臣又は商工局長の許可がないから不可だと云うにあると思料されます、然らば電気座布団の甲類のどれに該当すると云うのだろうか、甲類乙類何れも例示的に其禁止設備を明記して拡充解釈を許さない、禁止電熱器の第一は煖房用電熱器である、之が電気座布団に該当するだろうか、房とは室を意味する、辞典を引用するにも及びますまい、電気座布団は部屋を煖めるものではない、煖房用電熱器の中には電気座布団は含まれて居ない、更に之を電気用品取締規則(昭和十年逓信省令第三十号)第八号表電熱器の表示を見れば私の主張は一層明瞭になる。

第八号表 電熱器

細別

品名

採煖用電熱器

電気ストーブ(電気火鉢を含む)

電気炬燵

電気行火

電気足温器

電気蒲団

調理用電熱器

電気飯炊釜

電気七輪

電気天火

電気湯沸

電気コーヒー沸

電気牛乳沸

電気トースター

電気温水器

投込湯沸器

瞬間湯沸器

電気温水槽

電気鏝類

電気アイロン

電気裁縫鏝

電気半田鏝

電気髪鏝

其の他電熱器

毛髪乾燥器

煙草点火器

となつて居り電熱器を五分類し更に之を二十一に区分して居る、電気座布団は電気炬燵、電気行火、電気足温器共に採煖用電熱器の中に入つてるが電気ストーブとは区別せられて居る、更に之を第四種需用甲類を見れば煖房用電熱器を始めとして何れも電気使用量の相当多量なるものを禁止して居るのである、於是私は電気使用量の微少なる電気炬燵の一類電気鏝類、毛髪乾燥器、煙草点火器等は第四種甲類の禁止電熱器より除外せられ何等使用の許可を受くる事なくして何時にても自由に使用し得るものであることを確信する、猶之を裏付けするものとして電気需給調整則規第十二条が雄弁に物語つていることも見逃してはならない、即、商工大臣又は商工局長の指定なくとも別に告示する地区において住宅用として従量制により使用する一電気使用者の総容量が一、二キロワツト以下の調理用又は湯沸用電熱器が告示の期間自由に使用することが出来るという規定である、之れ其電力量の軽微なるにより之が使用を制限しないのであつて夫れ等よりも消費量の少い炬燵類は地区も期間も制限する必要がないから四種甲類から除外したものである、従て電気座布団使用は罪とならないものと主張する。(2) 仮りに原判決摘示の通りとして古西は其責任を負わねばならぬものかどうか、電気座布団の使用は法隆寺国宝保存工事事務所長所長代理画家等の協議の結果決定した処であり、古西はその決定権のない従業員である、上司の命令に従つた丈である、正当の業務を行つた丈である、故に若し正当の業務を行つたことが犯罪を構成するならば之を命じた者を罰せねばならぬ、之れ電気事業法第三十九条のある所以であり、上司が命じなくとも其の責任を問はるゝのに命じた者を所罰せずして命を奉じた者を罰する如きは立法の趣旨に背くものである。第三、共同弁護人の控訴趣意書及び原審弁論要旨を援用する。

被告人古西武彦の弁護人片寄秀の控訴趣意

原判決認定の被告人古西に対する電気事業法違反の事実は重大なる誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすこと明白なりと認められます。

第一庶務主任にも非らざる被告古西を庶務主任と誤認し之に対し庶務一般の重責を負荷せしめた事は大なる誤謬であります。

(イ)被告古西は昭和十四年一月頃から法隆寺国宝保存工事事務所の技手として入所し建築専門に従事して居たものであります。其の後昭和二十二年四月から当時の右工事事務所長大岡実氏の都合によつて技術面から離れて会計事務係に廻はされ約二十名の東西画家が壁画を模写するにつき其の画家と工事事務所との連絡係竝に世話役(一種の小使)に使役されて居たものであつて原判決認定の如く庶務主任ではありません、此の事は被告本人から屡々裁判長にも申述し第一回公判より第十九回公判に至る間機会ある毎に庶務主任ではありませぬ、偶々検事が庶務主任と云ふ名称を冠せられ夫れは誤りですと取消しても肯せず押切らるるので、検事調書に庶務主任と云う文字が記載されて以来如何に訂正を申出ても聞入られず、遂に公判廷に於て違ひますと申述ても一顧も与へず昭和十四年より庶務主任として庶務一般の外特に壁画模写等に関する事務を担当しているものである旨判示さるるに至つたもので、成程上司の命によつて幾分庶務の仕事を執つては居た事実はありましても夫れは昭和二十二年四月以降のことで断じて庶務主任でも何んでもありません又実際左様な職階もなければ工事事務所にて主任の待遇を受けたこともなく一介の技手で検察庁竝に裁判所に来てから庶務主任にまつり込まれたと云ふ何としても承服出来ない取扱を受け単に取扱のみならば敢て差支もありませんが之が為主任としての責任を負荷せしめらるるに至つては黙過することが出来ませぬ。

(ロ)然らば何故に庶務主任としてまつり込まるるに至つたかと云へば夫れは領置にかかる法隆寺国宝保存工事事務所議事録(証第四十七号)によるとされて居ります、而して其の内容を検討すると古西被告の分担は左記の通りであります。(1) 壁画模写 (2) 境内地管理 (3) 外来者 (4) 事務所内管理職員職人 (5) 外部関係各官庁寺院其の他 (6) 各官庁関係中資金、労務、物資、庶務 以上 之に因つて観ると被告古西は恰も法隆寺の管理者の如き権限を持つているものの如く観受けられ工事事務所長大岡実氏や其の代行者浅野技官の如き影を潜めて仕舞つて居る観があり如何にも不合理なもので果して被告古西に是丈の仕事を完遂運営し得る技能ありや否や否独り古西のみならず何人と雖此の盛り沢山の重大な仕事を遣りこなす力最がありや否や常識では先づ不可能の事であると私は信ずるもので其の最終に庶務と云ふ文字がある故古西被告が其の主任だろうとして任意に大岡所長の考案に係るもの若くは杢政雄技手の私案として作成されたのに過ぎず未だ以て実行には移されてなく工事事務所の他の職員若くは職人等に何等周知の方法も採らざるのみでなく法隆寺そのものにも何等通報もせず古西被告の如き不知の間に綴られ例へば「境内地管理」の如きは如何なる意味か現に尚不可解のものもあつて署名も捺印もせないから大岡所長に其の旨抗議したところ未だ実行された訳でなく只単に起案したのに過ぎぬと答へられ彼の上申告の最後のものの中にも此の点を明かにし又実際浅野技官の如き右議事録作成後に於ても依然工事事務所に出入して事務所の仕事に関与して居た事実があるのみでなく昭和廿三年十一月廿五日以降同廿四年一月廿五日迄の間七回に亘り工事事務所の用事につき京都名古屋等に出張し昭和廿四年一月七日文部次官が法隆寺工事事務所の予算其の他の件に付奈良市興福寺に来たとき会計の面で古西被告が面談すべきところを会見せしめず自ら会見して事務に関与して居つた事実のあつたこと、同年同月十日文部参与官が法隆寺へ出張され工事予算其の他の件に付聴取された折にも古西被告の出席を求めず更に同年同月十八日文部大臣が法隆寺へ出張された砌にも前同様古西には出席を肯ぜなかつた点等々の事実は何れも議事録中に(3) 外来者の事務に該当するのでありますが浅野技官が専ら学術研究調査のみを取扱ふ筈であるのに自ら事務に関与して来て居り更に工事事務所の会計の実権を握つて居つて自己名義の普通貯金通帳を作成し議事録作成された後も尚金銭出納の事実があつたり該通帳を庶務主任ならば被告古西に引継ぐべきところを何等の手続も執らず(証第五十三号参照)畢竟議事録による事務分担表なるものは一の空文に過ぎず未だ以て実行に移されてなかつた、所長大岡氏と浅野技官の謀議にて責任回避の策略の具に過ぎぬものである事を原審に於て数回に亘り被告古西が申述して来ましたが何等採用されず最後の欄に庶務の記載があつた為に古西被告を庶務主任なりと推定されて重責を科せられたのは将に重大なる事実の誤認で確に判決に影響する事甚大なものであると思料いたします。

第二電気工事施設変更の責任者は被告古西に非らざる点(原判決認定一の(イ)の点)

(一)責任の帰属者を明かにする為には法隆寺国宝保存工事施行規程中法隆寺国宝保存工事施行要項を検討する要があると思ひます、即ち、その第四項に法隆寺国宝保存工事事務所の職階を定めて居ります、「法隆寺国宝保存工事事務所ニハ左ノ職員ヲ置クコト 所長 主事一人 技師二人 書記一人 技手六人 助手五人」とあります。是によつて観ると被告大岡実は第一階被告浅野清は第三階被告古西武彦は第五段階に夫々当ります、而も第八項には法隆寺国宝保存工事事務所長の専行し得る事項を規定して居ります、而して其の(ホ)の項には「事務の担任及工事施行上必要ナル細則ヲ設クルコト」とあります。又法隆寺国宝保存工事事務所処理規程第一章第一条に「事務は総て所長の裁決を経て施行す」第二条「所長に於て特別の指示を為したるときは前条の規程に拘らず其の指示に従ふべし」とあり第三条に「所長の指示を受け代決処弁したる事務は代決者に於て其の文書に〔後閲〕の印を押捺し後日其の閲覧に供すべし」とあります、第四章服務心得欄第十一条に「本所の執務時間及休暇は総て官庁に定むる所を準用す云々」との規程があつて準公務所と見るべきであり、従て上命下従の関係に立つて居ります、従て大岡所長若くは其の代行者浅野技師(後に技官)の命令は部下の技手に対しては絶対のものであり之に反するときは忽ち馘首罷免の憂目を見る丈の事であります、而も工事事務所は公務所でなく法人格も有して居ない為上命にして過誤のあつた場合にも責任を問はるる事がないと云ふ如何にも非民主的の存在であつて仮令名義人が所長であつても責を免るる事が叶ふと云ふが如きは何としても腑に落ちず承服出来ない所であります、原審に於て茲等の事理を弁ぜずして部下の一介の技手に命じた電気工作物の施設の変更を部下が擅に為せる業として部下を犯罪の主体として処断されたる事実は全然事実を誤認されたる判決なりと信ずるのであります。殊に、

(二)電気座布団を金堂内にて使用することは所長大岡実氏の命であつた、昭和廿三年十一月事務所側では浅野技官、杢政雄、古西被告、清水増司女事務員、関西配電株式会社から社員数名列席し電気増量問題から更に電気座布団使用問題に這入り配電会社側からも電気座布団は電気の消費量極めて尠い旨の談話が交はされた揚句計算して居た事実(第二回公判清水増司証言)電気座布団の使用を決定した以上之が施設をせねばならぬ事は今更言ふも愚かな事である位明白な事柄である、大岡所長にせよ浅野所長代理にせよ乃至は古西被告にせよ自ら盗電でもして電気座布団を使用するのでは毫頭ない、故に濫りに電気施設を変更する必要もなく法隆寺金堂に於て画家達の為め堂々と使用せしむるのである、又電気屋森村重一も秘密に電気座布団取付工事を為したものでもない、被告古西は配電会社の了解済の上で森村重一に依頼したものである(第三回公判調書森村証人の証言)、此等の点からしても当初から罪を犯す意思は毫頭無かつた事を認むることが出来ると思はれます、殊に第十八回公判調書中にもある如く証人細川郁太郎は「電気工事業者は需要家からの依頼により工事を行ふ際為すべき一切の届出手続を代行する義務を負はされて居りそれは名義人たる需要家には電気智識がないから配電会社は請負業者を対象として届出手続をさせるのです、而もそのことは一般需要家と公共団体等とによつて取扱に差別を設けて居らぬ」と証言して居り工事請負人が需要者の名義で届出手続を済ますことが常識で若し之が届出を為さなかつたとすれば夫は寧ろ工事請負人が責任を負ふべきであろうと思はれ今日何れの家庭でも電気需要者として自ら届出らるる例は無い、夫れは承認を受けるに際つて電気智識を要する事項を記入する要があるので素人の需要家では到底完全な事を望む訳には行かぬが為であり、只工事請負人が代理して代署することを義務づけられて居り本来は需要者がするのである旨の証言によつても上命下従の関係に立つ被告古西に負責せしむる事は苛酷の誹を免れぬと思料致します。

第三被告人古西武彦は被告人浅野清と共謀したものではありません。(第一事実(ロ)の点)

電気座布団を金堂にて使用せしむる事の許諾を与へたのは所長の権限に属し末端の一技手には左様な権限は絶対にありません、而も前述の如く準公務員たる関係にある浅野被告が所長代理として被告古西に下命した場合被告古西は之に服従すべ義き務がある故若し之に服従せなかつた場合には忽ち馘首さるゝ運命にあつて共謀と云ふ観念は生じないものと信じます、第七回公判調書中証人吉田友一の証言中「電気座布団の交渉は昭和廿三年十一月上旬頃事務所の応接間に於て大岡所長浅野古西の三人と当時出席して居た画家の全員が列席して話合ひ電気座布団が一番安全だと云ふ事に話が決まつて使用することになつた、而して其の設備は森村電気屋が為し設備後使つてよいとの指示は工事をした電気屋が使つて良いと云うた丈で事務 の誰からも左様な話はありませんでした」云々、之によつて見ても凡ての事情を窺知するに足り決して被告古西の独断専行ではなく浅野被告と共謀でも何でもありません、然るに原審裁判所は浅野、古西両被告は共謀して正規の許可を受けずに電気座布団を画家に使用せしめた云々と認定して被告古西を処罰されたのは事実認定を誤つて本末顛倒された裁判で被告古西に対しては罪を科すべきでないものと思料致します。

被告人浅野清の弁護人田万清臣の控訴趣意

第一点原判決は其の理由に於て、(事実)一に於て「浅野清は昭和九年七月頃から奈良県生駒郡斑鳩町大字法隆寺国宝保存工事事務所に勤務し、昭和十七年四月頃同事務所の技師に就任し同所長を輔け、主として法隆寺国宝保存工事の実施調査等に関する業務を担当し、昭和二十二年四月文部技官として国立博物館奈良分館勤務となり、兼ねて右事業にも携はつていたもの」と認定しておりますが右の事実中昭和二十三年四月(九日)文部技官に任ぜられ、国立博物館奈良分館勤務となり、法隆寺国宝保存工事事務所技師を兼ねましたが、之れと同時に工事主任一名増員したが、工事を総括する適任者がなかつた為め浅野は当分其の任をも兼ねることゝなりました。其後専任者でないものが長く工事の総括の任に当ることは不適当であるとの議が各方面から起つて来ました。然し当時の事情として適任者を得ることが出来ませんので、事務の分担を改めて、所長(大岡実)自からが工事総括の任に直接当ることゝなり、被告人浅野は、技術面に於ける調査研究を専門に担当する事になりました。このことは所長の発案によつたもので、現場の技師並に各主任の諒解を得た上決定して、昭和二十四年十一月末より実施されたものであります。従つて被告人浅野はこの時より事務の決裁したことなく又関係書類には一切決裁の印を押捺しなかつたのであります。以上のことは大岡実並に被告人浅野の上申書及決裁印のなき事実は提出せる書証により明白に立証し得るところであります。原判決摘示の被告人浅野につきての職務権限は前陳の通りで何等証拠によらない独断のものであります。故に原判決の一の(ロ)摘示せる如く「被告人浅野は昭和二十四年一月十八日頃から同月二十五日迄の間正規の許可なく殆んど連日に亘り右金堂内で電気座布団六枚乃至十二枚を壁画模写の画家等に使用させ」とあるも、前陳の如き被告人浅野の職務権限より総て全くの盲断と云ふ可きであります。被告人浅野は此点につき何等法律上の責任はありません。

第二点仮りに百歩を譲り被告浅野の職務権限が原判決摘示の如きものとしても、原判決(事実)の一の(ロ)に「右被告人浅野清同古西武彦の両名は共謀して正規の許可を受けずに云々」と判示するも、その(イ)に於て原判決は「被告人古西武彦は電気事業者である関西配電株式会社の承諾を得ずに……(中略)……濫りに電気工作物の施設を変更し」と断定して電気工作物の施設を変更したのは古西武彦の責任にして被告浅野の責任にあらざることを明らかにしておきながら、前陳の如く(ロ)に於て「被告人浅野清同古西武彦の両名が共謀して正規の許可を受けず」と云ふは電気事業法による手続を全く無視したものと云ふべきであります。本件の如き場合の「電気工作物の変更」の手続と電気座布団の使用の正規の許可の手続は全く不可分のものであります。即ち電気座布団使用の為めの電気工作物の施設の変更であり之に伴ふて電気量の増加の申請は観念的には相違ある実質的には不可分のものであります。右(イ)の責任が古西武彦にあつて(ロ)の責任が被告人浅野と古西と両名にありとするが如きは誤謬であつて、(イ)の責任が古西一人にあるものならば(ロ)の責任も亦古西一人にあることは論議の余地はありません。

第三点電気座布団使用については事前に関西配電株式会社の承諾があつたのであります。法隆寺国宝保存工事事務所より画家の申出により電気座布団の使用につき本田房吉、森田霜四郎に承諾を求めたのでありますが、両人とも公判廷に於て否定的な証言をしておりますが、昭和二十四年二月二十二日関西配電奈良配電局長小林末男の斑鳩警察署長に対する上申書に添付された法隆寺国宝保存工事事務所長より大阪商工局長宛の電力量増加割当申請書に記載の算出根拠によると、電気座布団使用の際も支障ないよう計算されていることが判るのであります(同氏の供述にも同じことが述べられている)、即ち(ハ)算出根拠 電灯(八〇W)二十六灯 電灯(六〇W)二十五灯(日使用八時間)、電熱器(作業用五〇〇W)一ケとある内電灯二十六灯は螢光灯に該当し、従来使用の分、電灯(六〇W)二十五灯は電熱器に当るのであります。同氏の片寄弁護人の問に対する供述に、問「会社の台帳か何か持参したか」答「六〇W電熱の工事は知らなかつたから左様なものは持つて行きませんでした」とあるがこれは、その日(他に関配王寺出張所長他数名が来所、増量申請について視察した)膠保温用の電気コンロ(六〇W)が無届で使用されていたことが判り、これをその場で許可して、使用量に加えたものであります。これが何故か電熱器とせず、電灯として申請書に記載されているのであります。所でこのコンロは画家一人に一箇あれば充分なものであるから、二十五灯と云うのは画家の総数二十名を超えるものであります。これは冬期模写に当り(冬期模写は模写の遅れている組の方が従うのである)電気座布団を使用するも電熱超過にならないように考慮されたものでその記憶によつて、浅野は昭和二十四年二月二十日の警察官に対する供述調書に、金堂に使用していた電気座布団は使用禁止と承知していたかとの問に対し、答「禁止品と云ふことも聞きませんでした。更にその時需要量許可も電気座布団の使用量を含んで許可を貰つたと思います」と答えているのであります。又その日電気座布団使用の話を持出したに拘らず、配電会社の人達は、その使用禁止のこと等は全然云はず同じ性質の電気コンロ(六〇W)を自分達の権限で速刻許可しているのであつて、彼等が電気座布団が禁止品であると云ひ出したのは全く火災後に属するのであります電気需給調整規則の建前から、同じ模写に使用される六〇Wの電気コンロが許されて、四〇Wの電気座布団が許可されない筈はないのであつて、最初からこれを禁止品と考えていなかつたことが明らかであります。事実同規則にも煖房用電熱器が禁止品目に指定されているのみで、この中に採煖用の電気座布団が含まれていると考えることは無理であります。前陳の通り大阪商工局長に対する電力量増加割当申請書は法隆寺国宝保存工事事務所長となつておりますが、実際は関西配電株式会社奈良配電局に於て作製して提出されたものであります。従いまして電気関係の許可申請等は凡べて所長の責任に於てなされたものであります。右の許可申請に電気コンロと同じく電気座布団用の電力が増量となつておりますが、奈良配電局に於て何故に電気座布団の名目を使用しなかつたか不明なるも、かゝることは被告人浅野の知るところではありません。同人としては所長の責任に於いて事務の直接の担当者である古西武彦と電気工事請負人並関西配電奈良配電局とで手続をすませているものと信じていたと云ふことが出来ます。昭和二十五年一月十八日の原審の証拠調に於いても電気工事界の権威者細川郁太郎が証人として「業者は需要家から依頼により工事を行ふ場合ですが、その際なすべき一切の届出手続を代行する義務を負はされております。それは名義人たる需要家には電気知識がないから、関配は請負業者を対象として届出の手続をさせるのです」と証言しております。之によつて一切の届出は工事請負人が代行するものなることが明白であると同時に吾等の経験則に依るも一点の疑いのないところであります。被告人浅野は職務上届出に関し何等責任のないことは既に陳述した通りでありますが、仮りに責任あるとしても、前陳の通り刑事責任の追求すべきものがありません。

以上の理由により原判決は失当も甚しいものであります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例